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化野念仏寺千灯供養で京の夏が終わる

by Cosmos

京都盆地の西北の端の端、嵯峨野の奥にある化野念仏寺。
化野(あだしの)とは無常の野という意味であり、ここは昔の風葬の地。
山が迫り今も人気は少なく、霊的な雰囲気がある場所だ。

その化野念仏寺で、8月晩夏の地蔵盆に千灯供養が行われた。
文字通り、ろうそくで千の火を灯して供養をする行事。

これは昨年夏に化野念仏寺を訪ねた時の写真。
西院(さい)の河原とよばれる場所にたくさんの石仏が並んでいる。

化野は平安時代からの風葬の地。その死者の供養のために石仏がたくさん作られた。
しかし、それらは長い時代の中で放置され、無縁仏となる。
これら化野で埋もれていた無縁仏を集めて供養しているのが、この西院の河原。

青い空や色づきかけた木々の赤緑の鮮やかさの下で、石仏は独特の存在感がある。
まるで、精霊(しょうらい)さんが住んでいるかのような雰囲気。
日中でさえこれほど霊的な感じなのに、千灯供養だとどうなるのだろうか。

すごい…。
とても美しいのだが、美しさを通り越して言葉では表せない雰囲気になっている。

精霊さんがそこここにいると言われても、何の不思議もない。
ここは人の世界ではない。あの世、霊の世界なんだ。

参拝者はおのおの一本のろうそくを受け取り、好きな石仏の前でろうそくを灯し手を合わせて供養をする。
多くの石仏は長い間の雨風に晒されて、もう顔もわからない。
誰だかわからない無縁仏だけれど、それでもあの世で無事に過ごせるようにと念じた。

お坊さんが力強く、ずっとお経を読んでいる。
これくらいしっかりと読経していただかないと、強い霊気に負けてしまいそう。

西院の河原の中では撮影禁止である。理由はもちろん、見えないはずのものが写り込むから。
なので、ろうそくを灯したあと外から写真を撮る。
もっとも、外から撮った写真でも写り込むことは多々あるらしいけど。

どうも空気が重たい。
なんだかたくさんの精霊さんに囲まれているような気がしてきたので、そろそろおいとますることにしよう。
最後にもう一度手を合わせて、お寺を後にした。

千灯供養と合わせて、化野念仏寺前の道では「愛宕古道街道灯し」が行われていた。
古く情緒ある道沿いに置かれた行灯がきれい。
それにも増して、霊の集まっている場所から人間界へ戻ってきた安心感が大きいような。

地元の方が描いたという行灯はどれも楽しい。
笑顔は幸せへの近道か。うん、明日からまた笑顔で生きてゆこう。

帰り道、夜風はいつの間にか秋の涼しさになっていた。
夏を惜しみつつ、深呼吸をして秋の空気を身体いっぱいに満たした。
ここで京の夏が終わり、そして自分の夏もまた終わりを告げたように感じた。

PENTAX K-3II with SIGMA 17-70mmF2.8-4 & SIGMA 70-300mmF4-5.6

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