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儚くも美しいネットコミュニケーション- g.o.a.tに寄せて

by Cosmos

なぜブログを書くの?
以前から、そしてg.o.a.tが始まってからも、ときどき自問自答している。

ブログを書いても仕事に役に立つわけじゃない。
アフェリエイトなんかで小遣い稼ぎをしたいわけでもない。

その理由は、インターネットでのコミュニケーションの魅力に心が動かされるからかな。
じゃあ、その魅力ってなんだろう。

ネットコミュニケーションの原点

ひとつの記事がある。もう13年前の記事。
これは、自分が初心に戻るために折に触れて読む記事。

読冊日記
http://psychodoc.eek.jp/abare/200305c.html#29
http://psychodoc.eek.jp/abare/200305c.html#30

この記事はいつも自分にインターネットコミュニケーションの原点を確認させてくれる。その純朴な魅力を。
それは儚くも美しいコミュニケーション。
ちょっと長い引用だけど、名文なので飛ばさないで読んでほしい。

日本型のウェブ日記の世界には、かつてからもっと別種のコミュニケーションがあったのではないか。きわめて間接的で淡々としたコミュニケーション。

日々誰に向けているのでもないテキストを淡々と書き、そしてどこかにそれを読んでくれる読み手がいる、ということに心を癒され、直接感想メールが来たりすると、かすかな苛立ちを感じずにはいられないような、そんな「コミュニケーション」。

それは、アメリカ人からすればコミュニケーションの名にすら値しないようなものなのかもしれないのだけど、「それはどこか宇宙の果ての知らない星からの長距離電話」(谷山浩子「銀河通信」)であり、「誰でもない他者」からの「あなたがここにいること」への承認のメッセージなのだ。

だからこそ、誰が読んでいるかはわからないけれど、「もしもし見知らぬ私の友達 私はちゃんと歩いています」(谷山浩子「銀河通信」)と日記を書くのである。

細い、細い糸で結ばれたような儚いコミュニケーション。そもそもウェブ日記にとってもっとも重要だったのは、そうしたコミュニケーションだったように思うのである。
読冊日記

この記事から10年以上経って、こんな微かなコミュニケーションは忘れられてしまったようだけど、それでもネットコミュニケーションの原点としていつまでも残り続けるものだと感じている。

もしもし見知らぬ私の友だち 私はちゃんと歩いています

自分のプロフィールに書いている言葉、
「もしもし 見知らぬ私の友だち 私はちゃんと歩いています」。

これはネット上で書き始めた頃の初心を持ち続けてたいと思って載せている言葉。
そして、読冊日記に書かれている「銀河通信」の歌詞の一部。

このブログを読んでくださったりここで知り合った方々は見知らぬ人ばかりだけれど、それでももう「見知らぬ私の友だち」。
その友だちに向けて、自分がここに存在していること、そして少しずつでも歩いていることを発信したい。
ただ自分がいることを認めてほしいという人の根源的な希望のひとつが、記事を書き続ける原動力。

そして、それができるのがインターネットの素晴らしいところだといつも思っている。

銀河通信という恐るべき曲

繰り返し出てくる曲「銀河通信」。
この曲はインターネットが普及する前の1984年にリリースされた、「ネットでの交流の本質を予言した恐るべき曲」(読冊日記)とのこと。
自分は読冊日記を読むまで、この曲の存在を知らなかった。読冊日記すら、書かれて何年も経ってから知ったくらい。

とってもシンプルで優しい曲。心に響く。
内容は、真夜中に宇宙の果ての知らない星から電話がかかる。元気ですか、と気にかけてくれる。
はるか彼方の君をなぜだか信じられる、と言ってくれる。
そして…。

真夜中わたしも電話をかける 心の奥のダイヤルまわす
もしもし見知らぬわたしのともだち わたしはちゃんと歩いています
今は小さな命の種が 遠いあしたに花ひらくまで
静かな河が流れ流れて 大きな海にひろがる日まで
銀河通信 谷山浩子

電話をインターネットと置き換える。
そう思って聴くと、微かなネットコミュニケーションの魅力がにじみ出てくるような気がする。

自分もこの曲の想いを抱いて、これからもここで、そしてどこかでひっそりと書き続けたい。
静かな河が流れ流れて、大きな海にひろがる日まで 。

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